失われた自画像〜「すべてがFになる」

昔から、小説と言う物、ミステリーが苦手である。にも関らず、この作品はわざわざ文庫本を買ってしまった。例によって斜め読みなのだが、この作品には確かに、過去の自分がいると感じた。それは、(何ともおこがましいが)天才工学博士、真賀田四季である。

彼女は、ハイテクの昼も夜もない部屋に15年間引きこもっていたという天才女性である。・・・もちろん、私は彼女と違って、165X3367=555555であると予見する事は出来ないが。

ここに出てくる探偵役が、主人公犀川創平である。彼は四季を愛している。そして、四季もまた、「たぶん、他の方に殺されたいのね・・・自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?」と、彼に問いかけている。

・・・これだけ熱烈で、贅沢なアプローチをされながら、犀川は彼女に手を出さない。・・・四季は、最後まで孤独の中に取り残される。惜しいなぁ、と思った。もし、犀川がN大助教授でなく、もっと若く、もっとあらくれていたなら、さっさと彼女を奪って、この作品は一世一代のラブストーリーになっていただろう。

犀川は、結局お嬢さんである自分の教え子、西之園萌絵と結ばれるのだが、萌絵もまた、「自分より頭のいい人に出会いたかった、そして出会った」と告白している。

頭のよさ、とはIQだけではないだろう。世間を渡る知恵、悪巧み、それを生かした行動力あって、初めて「頭のいい人」と言われるのだろうが、私に言わせれば、犀川は年を取り過ぎているのである。

犀川が、もし研究者としての態度をどこかで振り切って、作品の最後に出てくる「立派な兵隊になること」を本当に実行していたら、この作品はミステリーとしては破綻しただろうが、面白い超一級の小説になっていたのになと思った。