現代のワンダー・ウルトラ・スーパー・ガール〜「聖母モモ子の夢物語」

本来は、TVドラマ雑感であるべきレビューだが、現在ビデオを紛失してしまい、脚本集だけを読んで感想を書いているので、あえて読書日記に入れた。

このTVシリーズは。唐沢モモ子(竹下景子)というソープ嬢が、毎回事件に巻き込まれ、命からがら助かるという、一種のコメディータッチで綴られていたように記憶しているが。そこは、市川森一(私にとっては神さまのような人である)脚本であるからして、内容はある意味、今流行の山崎豊子松本清張以上に暗い。

暗くもあり、また前者2人の原作によるTVドラマより、主人公達がある意味隣にいる人のようにみみっちく、であるからして「もしかしたら自分にも起こる事件かも」と言った、無情なまでのリアリティがある。

(ちなみに、狂言回し的役割である、いつもモモ子の事件に何故か関る刑事に、まだ中年だった蟹江敬三が扮して、いい味を出していたのを思い起こす。)

これを読み返して、ふと思ったのは、モモ子というキャラクターは、現代日本の女性版スーパーマンなんですな。・・・新聞記者ではなく、ソープ嬢がそういう役回りと言うのも、何やら一見可笑しいが、そこは市川森一であるから、何がしかの計算があるのだろう。

特に、印象に残っていたのは、堀川とんこうの名演出による第二話「聖母モモ子の受難」なのだが、ここで改めて読み返してみても、全く迫力が失われていない事に驚く。1983年と言えば、バブル期まっしぐらであった筈だと思うが、その時期にこういうドラマが人気であったというのは、案外日本人の文化レベルというのは、高いのではないかと錯覚するほどだ。

現在、こういう「みみっちいから儚い、だけどそこに神あり」というようなドラマは受けないんだろうなぁ。

現在の、時代の要請は、時代が厳しいからこそ、ますますハードと言うか、地位とか金のハードルが高くなっているんだろうなと想像する。おそらく、誰も「TVで自分の姿なんか見たくない」んだろう。・・・それはそれで、仕方の無い事ですが。TVやスクリーンがその内、インディ・ジョーンズだけで埋め尽くされるのかと思うと、それはそれで侘しいですね。

どんなに皮肉に歪曲されていても、もうワンダー・ウルトラ・スーパー・ガールが活躍出来ない時代である訳で。・・・日本と言う国も、あるいはそろそろ終焉に近づいているのかも知れません。