善意は人を救えるか?〜「ノルウェイの森・DVD」

映画「ノルウェイの森」DVDを、先日本屋で見つけたので買ってしまった。それで、再び家で鑑賞して思った事を書く。

この、松山ケンイチ君演ずるところの「ワタナベ君」は、別に直子に悪意を持っている訳ではさらさらない。・・・性欲の吐け口にしている訳でもない。彼の中にあるのは、「病気の彼女を救いたい」という善意である。そこには、直子を一種の自分の「聖少女」として、崇める気持ちもあるのだろう。

だが、映画を見ている限りでは、まさにこの「ワタナベ君」の善意が、ボタンの掛け違いのように直子をどんどん追いつめて行くようにしか思えないのである。

人間の善意とは、一体なんだろう?と、私は考えてしまった。

善意と愛は、たぶん異なるのだ。・・・直子が求めているのは愛情である。キズキから貰えなかった庇護である。それを、「ワタナベ君」がきちんと与えているように、どうしても見えないのである。

「ワタナベ君」にきつい言い方をすると、彼は直子の置かれている状況を理解していない。直子の病理も、全くと言っていいほど理解していない。・・・それなのに、彼が直子に、「病気だからかわいそう」というような、いわばナルシスティックな善意を注ぐから、彼女の混乱がいよいよ深まって行くのである。

一体、「ワタナベ君」は彼女を理解しようとしているのだろうか?心の病に関する本のひとつでも、読んでみた事はあるのだろうか?でなければ、彼女の神経の病んでいる理由を、深く考察しているのだろうか?

違う。・・・「ワタナベ君」の中にあるのは、本質を理解しないままに、「俺が彼女(聖少女)を救いたい」という、単純と言えば単純な思い込みだけである。それは、世間的にはふつうに賞讃されるものかも知れないけれども、直子と言うひとりの人間のために、少しも役に立っていない。

それを、結局松山ケンイチ君が、「ラストシーンで、ワタナベは身の程を知ったんです」と、簡潔に纏めていた。

この映画の、難しいテーマはそこにあるような気がする。「善意は、時として他者を救わない」。