大人は疲れている〜「遠くで汽笛を聞きながら」

最近、弟の態度に疲れている。

弟は、いわゆる1流大学を出て、その後親に反発して好きな道で食っている。今の世間では、ある意味誰にも文句のつけようのない人生を生きている。

しかし、この弟が親の介護に関しては、全くあてにならない。

「理屈はどうでもいい。・・・今、必要なのは金と女手だ」と当たり前の事を言うと、鬱っぽくなって寝込んでしまう。ので、あてにならないと腹をくくって、私が「せめて、盆暮れに夫婦で元気な顔をたまに見せてね」というと、急に元気になって「じゃ僕ら、疲れてるから今年の正月は無理」と、あっさり言ってのける。

で、つくづく思ったのは。

・・・「前向きに夢を持って」本当に生きられると言うのは「子ども」だ。「前向きに生きよう」と、自分に発破かけながら、日々出来る事、残された時間を生きるのが大人だ。

私は確かに、親名義のマンションで暮らしているかも知れないが、その代わり気難しい父の愚痴を聞くために、毎週ご飯に呼んではじっと我慢をしている。・・・いずれ、介護自体とはいかなくても、手続き的問題は私一人の肩にかかってくるだろう。

回りくどくなったが、要するに「前向きに生きてる子ども」って、他人の事、金のことなんて分からないか、分からないふりをするんだと私は勝手に思う。・・・65歳以上は死ねとか言う政治家ってその典型じゃないのかなと。 どうも、「自己責任」とか「頑張れ」って言う言葉、「一億三千人総子ども」状態から生まれた科白のような気が、最近している。・・・毎日、言われなくっても自己責任取ってる大人は、生きるのつらくって当たり前じゃないのかなと。<(_ _)>