ザ・純愛時代劇〜「ICHI」

市(綾瀬はるか)は盲目の、女だてらに滅法強い剣の使い手。しかし、「自分は生きているのか死んでいるのか分からぬ」と抜かすニヒリスト。対する十馬(大沢たかお)は、滅法明るい、しかし真剣の抜けない腰抜けである。・・・しかし、それには深い理由があった・・・

この映画を見て思ったのだが、この綾瀬はるかという女優、『干物女』のような、まるっきり現代恋愛に縁の無い役をやったかと思うと、『セカチュー』(TV版)のように、現代にはありえない純愛物もよくはまる。この映画もその一つである。

十馬は、実は剣術指南役の家の跡継ぎのお坊ちゃまであり、木刀なら市をも叩きのめすほど強い。だが、幼児期に過って、実の母の眼を斬ってしまったが故に、剣がどうしても抜けない。この二人の道中記でもある。

結局、市にとっての剣術指南役であった父親と、十馬の盲目となった母親の面影が、お互いにシンクロして、互いに生きる力を取り戻す、という辺りが面白い。現代では「共依存」として、否定されがちなこの類の恋愛が、「時代劇」というスクリーン上では、このように鮮やかに人の心を撃つか、とまで思う。

それにしても。女にとって、「純愛」とは、いつも「より強い男に負ける、つまりある意味精神的に強姦される」という事実であるのかなぁとも思う。十馬は、「生きなければいけない」という力強いメッセージを残したまま、市を残して息絶える。

生まれ変わったかのような市は、「私にも灯りが必要だったのだ」と悟り、十馬の忘れ形見の剣を、母親の元に届けるべく、また旅に出るのだが。・・・冒頭の、人に関心のまるで無い市も、それなりに格好良かったのにな、などとふっと思った。