祝・手塚治虫大賞受賞〜「大奥」

この作品で、よしながふみが、手塚治虫賞を受賞するのが、ここ数年来の私の夢であった。・・・それがかなったので、少々(とても書きにくいのだが)レビューを書いてみようと思う。

この作品の中で、今の所一番魅力的で、また強烈なキャラクターは、家光こと千恵姫であろう。彼女は、世間で最高の地位に生まれつきながら、両親を殺され、少女時代に強姦され、その子を死産したという凄絶な過去の持ち主である。

その彼女が、僧を志す有功という青年に言う。「念仏を唱えて、救われるのはもともと幸せだった人間だけだ。何度唱えても、楽になる暇もないほど次々と悲しみが襲ってくる人間はどうしたらよいか」と。

これは、もちろん、彼女の幼さが言わせた科白でもあるが、実際、人間の悲しみは理詰めでは癒せないのだ。孤独を癒せるのは、理解と受容だけなのである。

人間が、ひとりぼっちであると言う感覚は、おそらく互いを救いまた、他人を無償で救うことでしか癒せないのだろう。・・・全く逆説的ではあるが、ひとりぼっちであると信じている人間が、何人集まっても、彼らはひとりぼっちのままだ。

そうではなくて、およそこの世に、いわゆる「勝ち組」「負け組」と関係なく、いやあらゆる性別、人種を超えて、人の痛みに大小はないし、誰しもが同じ重さの辛さを抱えているものなのだ。・・・それを理解した時、初めて人は孤独感から解放される。

そして、第4巻で、聡明な玉栄が言うように、「自分の頭を使って考える」ことを覚えるのである。そこに初めて自尊心が生まれる。

だから、この作品は、単なる歴史物と言うのを超えて、あらゆる女性に対するメッセージになっていると思うのだ。一種の現代女性のための、真のビルドゥンスク・ロマンと言ってもいい。

実際、この家光は決して温厚な君主にはならない。むしろ、庶民を徹底的に搾取する政治家として成長してゆくのだが、それが決して彼女の人間的堕落として描かれていない。この辺りが、「ベルサイユのばら」の無邪気さと決定的に異なっている。

つまり、よしながふみは、「政治」なるものを怖ろしいほどによく理解した女性でもあるのだ。興味がなくても、全てのインテリ女性に読んで欲しい一作である。