母国を喪った男とある女〜「凱旋門」

かつて有名と言えば、有名すぎるほどだった小説。(映画化もされている。)

主人公・ラヴィックは、ドイツ出身の堕胎医である。正確には、外科医であるのだが、第二次大戦の勃発を前にして、パリへ不法入国している男である。その愛人・ジョアンとの恋愛、かつての宿敵フーケへの復讐を載せて、主題は展開するが・・・

「みんな間もなく腐れ落ちてしまう運命にあるのだ。精力を浪費するよりも、流れるままに漂っている方がいい。・・・生きのびる事が全てだ」

このような科白は、「前向き」なものとは到底言い難いが、しかし、この主人公の置かれた立場を知ることは、現代の日本人には、まず不可能だろう。・・・彼は、強制収容所の悪夢に繋がれた男である。法律の、国家の認めた理不尽な地獄。

その前では、このような言葉しか吐けないのが、物語のラストを読んだだけでも、これを知らない読者にも、ある程度イメージは伝わってくるだろう。

その愛人のジョアンは、こうした地獄とは全く無縁の、「動物的な」女として、かつて評されてきたように思えるが、今現代の日本であったら、あるいはアダルト・チャイルドとでも言われるのかも知れない。

つまり、ここにあるのは、母国を喪った男と、父を求める女のラブ・ストーリーなのである。脇役として、唯一のこの世界から逃れる、文字通りのアメリカ国籍と言うパスポートを持った、ケイトという女性が出てくるが、彼女もまた死を抱えた女である。

こうして、いわば「絶望」を抱えたままの、いつもカルヴァドスを何かと言うと飲み干すという男。これを、映画ではシャルル・ボワイエが、そして女をイングリッド・バーグマンが演じて、名画の一つに戦後飾られた筈である。

・・・映画のほうは、見返していないのでよく覚えていないが、二人が出会うパリの安ホテルの状景が、圧巻であったことだけは想い出に鮮明である。

何故、今回このレビューを取り上げたのか、いささか言い訳に苦しむが、究極、戦後の日本人、それも「戦争を知らない子どもたち」に、何となく読んで欲しかったからとでも言おうか。母国を喪うとは、どういった事なのか是非想像してほしい。