色々分からない事〜「アメイジング・グレイス」

セルフヘルプグループに参加して2年余になる。

どうも、「色々分からない場所だ」という、思いが強くなって来た。・・・「組織でない」と言いながら、立派な組織である。「陰口がない」といいながら、陰口だらけである。

少し解説しよう。セルフヘルプグループとは、名の通り「苦しい同士で助け合いましょう」という場所である。・・・それなのに、何か中に入ると、色んな権力や思惑が渦巻いていて、ある意味仕事してればそれなりに居場所のある、仕事場よりやりづらいところである。世界中、どこに行ったって、そんなもんだろ、とは思うけれど、何か建て前と本音がこれほど食い違っている場所もないように感じる。

もともと、セルフヘルプグループというのは、特に私が参加している場所がそうなのだが、つまりはアメリカ版新興宗教キリスト教徒の集まる場所なのである。いい加減な要約で大変申し訳ないが、そういう祈りがちゃんとある。「神さま、私にお与えください、自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えてゆく勇気を、そして二つのものを見分ける賢さを」というものである。

これ自体は、そんなに変った祈りではないだろうが(?)しかし、「何が変えられるもので、何が変えられないのか」が、実は大問題である。

建て前としては、「他人は変えられないから自分を変えましょう」というのが大題目である。・・・しかし、自分というのは、そんなにアメーバのように変えられるものなのだろうか。

ここで、一気にマルクス&芸術論(実は「資本論」読んでませんが・・・)に、突入するが、要するに、人間の意志で「変わらない世界」に対して怒りをぶつけると言うのが、革命であったり芸術であったりするものの本質な訳である。・・・そういう人間をも捕まえて、「変えられないものは変えられませんよ、ここの組織の論理に従って真面目に働きましょう、あなた」と諭すことに何か意味あるのかな、と思うようになってしまったのである。

芸術論を、神の前でぶってみても仕方がないが、ここに(セルフヘルプグループに)参加していると、本当に作品がだんだん書けなくなってくるのである。(これ、実感。)
「回復」ってなんだっけなんだっけ、私の本当に好きなことすることじゃなかったの?好きじゃない仕事して、毎週セルフヘルプグループで愚痴言うことだったの?みたいな思いが、最近渦巻いているのである。

「回復」って。「自分の無力を認めろ」と言う事だと、常々仲間(?)に言われるのだが、要するに、それって「絶望しろ、そしてもう生きるのをやめろ」という風に聞こえてしまう自分はおかしいのだろうか。

世間(?)に出ると、色々分からないことが沢山ある。