鬱の人に対する親御さんの対処〜「恋人がサンタクロース」

こないだ、詩の講座に行った。

終わった後、メンバー4人程度でお茶を飲んでいるのだが、「人が4人集まれば、そこは自助グループである」という言葉(ちなみに私の造語です)の通り、お茶会も回を重ねると、「実は家、長男がニートで家出してて」「弟が鬱で自殺してて」と、どこもまぁ同じである。・・・所謂勝ち組の、実家の周囲の出来事とばかり思っていましたが、もはや中流家庭ともなると、家に一人はそういうごくつぶしがいるらしい。

で、家族の皆さんは当然、悩んでいる訳だが、ふっと気付いたのは、どうもその「悩み」に、「直面」しているようで、実は、うまぁく「逃避」している方が多いように、(大変失礼ながら)思った。

鬱の、あるいはニートの子供を責めたり、自分を責めたりすることは、じつはとっても簡単なのである。で、それを繰り返していると、・・・特に「子供を責める」を執拗に繰り返すと、ふっと家出してしまったり、自殺してしまったりするらしい。

(逆に、親が自分を責めて子どもを庇っていると、これはこれで鬱が長期化したりして、また別のややっこしい問題になるのですが。)

帰り道で、唯一問題のない質素な家庭を築いている方が、当事者(?)である私に、とっても不思議そうにこう言った。

「どうしてああ、問題をむつかしく考えるかしらね。やれることからやらせせればいいと思うんだけど」

いやはや、その通りなんですよ。

よく、「鬱の人を甘えている」と言ってはいけない、というのは、実はここから来ている。本人は大抵、周囲(主に家族)の過剰な期待に、押しつぶされそうになっているので、「甘えている」と言うと、いよいよ「俺はダメだ」と、火に油を注ぐ結果になるのである。

それにしても。どうして、鬱の当事者の家族と言うのは、当事者に無理な期待を抱くのか。・・・普通、引きこもって30過ぎたら、「男だったら肉体労働をさせる、女だったら普通の見合いをさせる」を(非常に俗ですが・・・ちなみに、たまに援助職に就く人もいますが稀です)を、考えるのが普通の親である。

ところが、どうも見聞きした様子によると、いつまでたっても「この子は男だから、切磋琢磨して勉強すれば大学に行ける」「この子は女だから、ほっといても自分からそれなりのとこへ嫁に行く」と言う、親御さんが少なくない。・・・本当に、摩訶不思議で仕方ないがそうなのである。

これって、結局、親御さんが自分の果たせなかった「青春期の夢」を、鬱の子ども(ちなみに、もと出来のいい子が普通)に、勝手に押しつけているだけなんですね。

さながら、昆虫を飼って、「さなぎが蝶にならないか、ならないか」と、いつまでも夢見続けるのにとっても似ています。

で。その原因って。どうも、ユーミンに代表される何かに、あるような気が、最近、してならないんです。

恋人がサンタクロース」ってありますね。・・・しかし、現実には恋人は、臭い靴下はいたくたびれた亭主になってゆく。あるいは、アリスの「チャンピオン」は、くたびれた女房を持ったトレーナーになってゆく。・・・それを、無意識下で受け入れられない夫婦、というものに問題があるような気がいたします。・・・だから、「子供」に過剰な期待を抱いて押しつぶすんですよ。

そこにあるのは、「共依存」とかいう問題より、なんかもっと戦後日本の社会の歴史の問題みたいなものが、深く深く隠れているような気がするんですけれど。

「息子がサンタクロース」「娘がチャンピオン」をやめましょう、としか、取り合えず言えないのが、現在の私です。