醜いアヒルの子と7人の小人〜「電車男」

先日、この映画版を見て、なかなかに面白く、ゲラゲラわらいつつしんみりもしたのだが、確かいきつけの医者の待合室で読んだ、漫画版原作と、後半部分がかなり異なっていたので、今回のレビューでは主にそれについて触れたいと思う。

山田孝之演ずる「電車男」は、彼女いない歴22年の22才、当然のようにアキバ系のオタクである。(この、山田孝之の演技力が、例によって半端でないのだが、それは今回置いといて、)この電車男が電車の中で、酔っぱらいにからまれれている美女を、かろうじて助ける。感動した美女「エルメス」(あとで、あろうことかお礼に無造作にエルメスのコーヒーカップを送ってくる)との間に、当然のように恋が芽生えるが、悲しいかな、電車男には、都会風の恋の進展方法が分からない。・・・そこで、いつも入り浸っているPCの2ちゃんねるの住人に助けを求めて、見事エルメスとゴールインしました、というのが漫画版のストーリーである。(あったように記憶している。)

ところが、映画版ではいざベッドインの段階になって、2ちゃんねるの指示が思わぬところでミスる。途方にくれた彼は、「自分の力」で、出来ることを決意する。・・・すなわち、ろくなPCのないエルメスの家(お嬢さんの家にありがちな事で、新型家電製品に疎い)に、自力で一生懸命PCのガイドを届ける。・・・感動したエルメスは、「実は、電車でなけなしの勇気を出す前の、ただ定期をひろってくれたありのままのあなたが好きだった」という話になって、2人の秋葉原での濃厚なキスシーン、そして、2ちゃんねる仲間もいつしか孤独から解放されてリアルの世界へと歩き出す、という設定になっていた。

これはこれで、確かに感動的な映画ではあったが、私は見ていて正直、後半は蛇足なのではないか、とも思った。

何故なら、これはバーチャルとリアルが交錯する現代の「お伽話」なんだなぁ、というのが漫画版を読んだ時の感想だったからである。別に、バーチャルの仲間はバーチャルにとどまり続けるのも一つの現実だろうし、第一、ただ定期を拾ってくれたというだけの理由で、全く冴えないアキバ男をエルメスお嬢様が好きになる、というのもどこか間が抜けている。

要するに、「なけなしの勇気を出しました」が、事件の最も重要な起点で、(→醜いアヒルの子から白鳥への変身、)それを助けてくれる7人の小人が、PCの中にいる、というのが、この話の「肝」だからである。

もちろん、この事件を契機にして「電車男」の人生が、リアルへ向かって広がって行ったことは想像に難くない。・・・しかし、そこまで映画で描写してしまうと、一種の「やっぱりありのままの根性と自分が大切でした」というテーマになってしまって、「お伽話」から、大きく意味がずれるような気がしちゃうんだけどなぁ。

でも、まぁ、キスシーンは誰しも見たいものですし。(えげつな)最後に流れるオレンジレンジの「ラヴ・バラード」が良かったから、まぁよしとしましょうか。金子ありささん、そして映画版スタッフさん。・・・あるいは「実写」の限界かも知れませんね。