聖家族飼育

へーベルハウスの一室で
姉貴がおかしな事をはじめた
部屋に閉じこもってひたすら祈りを唱えているのだ
「神様私にお与えください
変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものを変えてゆく勇気を」と
それから
ふっつり姉貴は家族と食事を取らなくなった
東大出のお袋は相変わらず
食卓でメーデーの思い出話をしている
お袋よ
学生運動は遠く去ったよ
でも
遠い砂漠の国や
いやこんなにも貴女のすぐ側にも
苦しんでいる人たちがいるというのに
貴女はどうして60年生きて
まだ失われた名誉にしがみつく
智恵と勇気のブルーフラッグは
何も街路にだけはためかせるものではないよ
この荒れ果てた食卓に
家族の愛と平和の旗を
もう一度はためかせて欲しいと思うのは俺だけなのか
暫くして姉貴は入院したけれど
ついに貴女の目から涙がこぼれることはなかった
それから俺は
家を出て一人で街路でピアニカを吹いている
いつも吹くのは「サザエさん」だ
あの平和な笑いが一度でいいから俺の家庭に欲しかったよ
寒さに指が凍える季節になったが
俺はけいれんする唇でドレミを吹き始める

              (黒田喜夫「毒虫飼育」に捧ぐ)