『非現実的な夢想家』の行きつくところ〜「夢の中へ」

なんか最近、考えてしまったこと。

「非現実的な夢想家」として、歩いて行こうって、どういう事だろう。

井上陽水の、「夢の中へ〜夢の中へ〜行ってみたいと思いませんか」を、つい思いだしてしまったのだけれど、要するにそれって、「お母さんを求める子供のままでいたいよ」と言う、ことではないのかなぁ。

「思いやりが一番大事」とか、「みんな一緒に歩いてゆこう」と、言うけれども、じゃその思いやりを与えてあげるのは誰の役割であり義務なのか。一緒に歩いてゆく先頭を務めるのは誰なのか。

皆、そういうことは頭をからっぽにして(つまり思考停止して)「お父さん、お母さんが欲しいよ〜」と、叫んでいるように私には思える。

・・・してみると、「引きこもり」というのは、今現在の日本で、もっとも進んだライフスタイルなのかも知れない。

しかし。

それでいいのかよ、って何で思うかと言うと、(ここで結局自分の話に戻ってゆくわけだが、)作業所で「弱い子」のお守をさせられた1年間は、本当に大変だったからだ。・・・「弱い子」は、(こういう言い方は本当に、今まで避けてきたが)自分で何もしたことがない。だから、赤ん坊のように要求に際限が無い。

地震以来、「みんなで生きて行こうよ」。大いに結構です。・・・しかし、その際問題は「責任」を誰が取るのかと言う事だ。

自分が責任取らないで、「国」のせい、「他人」のせいにするのは本当に簡単だよ。

こんな言い方したくないけども、もしこのまま全国民が「赤ちゃんでいたいよ〜!」と、叫ぶのが世の中になっていくとしたら、「日本はプアー・カントリーになる」と蔑まれても、仕方ないな、と思う昨今である。