突き詰めないこと、こらえること〜「ストレンジャー」

今年の終わりに、「君は物事を徹底的に追及するから怖い」と、言われたことがあって、自分でも少し考えた。

私の母は、ものの分からない人である。・・・それでも、私もだんだん、遅すぎた青春を取り戻している内に、母の弱さや貧しさから来る痛みが、多少は見えてきた。母が、無償で私に与えてくれたものも見えてきた。

それでも。

私の中で、母を許すということと、現実の母と仲良く付き合えるか、ということはまた別問題であったりもする。・・・母が、精神的に健康であればそれも可能だが、そうでないし、本人ももう老いていて回復も難しかろうと、私の主治医やカウンセラーも言うのであるから致し方ない。

しかし、その人の「許すこと、笑うこと、優しくすること」という言葉には、胸を打たれた。

多分、他人に優しくするとは、その人のことを全面的に受け入れたり、突き詰めて考える事ではなかったのだ。むしろ、そういうことをこらえるという事だったのだ。

それには、自分は自分で、好きな時間をもつこと、好きな人と話すこと、静かに瞑想するのが一番いい気がしてきた。

愛するとは、人を理解することではなく、その人の欠点を受け流すことなのかも知れない。