現代に生きる女の罪〜「ニート」

その後、絲山秋子の「ニート」について再考した事を書く。

大昔、あの橋本治が、「現代に生きる女は全てホモである」というような事を言っていた。かなりの極論ではあるが、これだけBLというものが流行するようになった素地を考えると、確かに言えていなくもない一言だと思う。

現代に生きる女は、小学校で「男と女は平等である」とまず学ぶ。・・・それは「嘘」というより、「宗教的に違う」精神である。・・・健康な女子は、そんな科白は真に受けない。

しかし、だ。・・・時として、この「平等である」という精神を貫こうとする女性がたまにいる。世に言う、「勘違い女子」である。その最高峰が、雅子様であると思うのだがどうだろうか。

おそらく、皆が言う事だが、30過ぎてこの「民主主義」の「嘘」に気づいた雅子様が、落とし所として選んだのが皇室であったのだろう。・・・そして、その後雅子様を待ちうけた「罰」については言うまでもないところである。

しかし、しかしだ。・・・一国の憲法の精神を真に受ける事が、すなわち「宗教的な罪」であるという現実は、どこか狂っている気もする。

ニート」の女主人公は、ニートの男を経済的に助ける。それが彼のためにならないと分かっていても助ける。その結果、彼女は男に去られていよいよ孤独になってゆくのだが、これに近い話は、実は40代女子負け組雑誌「GLOW」辺りでよく目にする投書であったりもする。

彼女たちは何を間違えたのだろうか。

男女は平等ではない。・・・決して平等ではない。それでも、「平等」のまま、男から「愛情」を貰おうとする時、現代に生きる全ての女に「罰」が待ち受ける、と言ったら、言いすぎなのだろうか。