青春は常に人を欺く〜「黄色い涙」

1963年夏、東京阿佐ヶ谷のボロ下宿に、4人の男が集まる。それぞれ漫画家、小説家、画家、歌手志望の青年たち・・・うらぶれた彼らに寄って来るうらぶれた女たち。金になる仕事ではなく、芸術をとの志とはうらはらに、実生活はちっとも先へは進まない。そんな彼ら4人の夢と挫折を画いた珠玉作である。

二宮和也(駆け出し漫画家)の相変わらずの好演もさることながら、櫻井翔(小説家志望)の哀感が素晴らしい。あと松潤(米屋の青年役)のしっかり者ぶりも笑える。

やがてひと夏が過ぎ、彼らは「芸術のために孤独になれない、まことにまことに平凡な人間の集まりであった」事を自覚して、漫画家以外の3人は社会人となる。

特に泣けるのは「スーダラ節」のシーンである。もちろん、これは巨匠ジュリアン・デュビビエがよく使う、逆説的手法なのだが、すなわち、決して「スイスイスーダララッタ」とは生きられない芸術家志望の人間達のみじめさと気高さを、かえってこのBGMで逆照射しているのだ。

そして漫画家(二宮)が母親の危篤に会い、3人に見送られた列車の中で、一夏書きためた売れない原稿を、脇にたまたまいた少年にまるごと渡すシーンがいい。小説家志望(櫻井)が最後に、ふろしき包みの一番上に聖書を置き、くるむシーンがいい。疲れた煙草屋のおばちゃんの顔に、ふと「神」を見出すシーンがいい。

結局漫画家だけが初志をつらぬいて、ボロアパートでまたしこしこと原稿を書く。でも3人がいた夏からは、明らかに何かが違っているのだ。・・・そして1964年、東京オリンピックと新幹線開通の年が明ける。

ラスト、名フレーズ。「人生はついに我々を欺かなかった」。

脚本、市川森一の名作TVドラマの、嵐主演によるリメイク。