成人儀式〜「UNDER」

・・・森脇真末味の、最高に難解なSF。これを最後に、彼女は少女漫画を描かなくなる。

ここで、男の子ばかり主人公にしてきた彼女が、初めてショートへアの「ノヴァ」なる女主人公を出しているのだが、その後の短編集「ユージーン」では、もはや大人の女性しか出てこない。洋画を彷彿とさせる鮮やかな短編であるので、こっちのほうが実は解説しやすいのだが、それでもこの「UNDER」についてレビューしてみたいと思う。

結局、一般論になってしまうのだが、古い言葉だが、「成人儀式」なるものは、社会に適応するために必要不可欠であったりするのかなと思う。・・・主人公、ノヴァは義理の兄、サラエを愛しているのだが、このおままごとのような関係性から全ての事件が始まる。

女は、というか少女と言うのは、いつも自分の我が儘が通ると思っている存在で、一方少年と言うのは、いつも自分の自分勝手を通したいと思っている存在で、ある時それが、異性に阻まれて成り立たなくなったり、逆に成り立ったりする。・・・それで、自分を通すのを諦めるのが女、自分を通すことを覚えるのが男であったりするのかなと思う。

何だか、我ながら陳腐な結論だとは思うが、「変えられないものを変えてゆく」のが男で、「変えられないものを受け入れる」のが女だと、昔恋人に言ったことがある。・・・それは真理だと今でもどこかで私は考えている。

ここで、「ユージーン」論に移ってしまうところが心底情けないが、ここで、「神さまの本」を売って儲けているユージーンなる主人公が、騙している本人の少女(もちろん、その本に洗脳されている)に、死ぬ間際に「俺たちに失うものなんて何もない」と、つぶやき掛けるのだが、実際、競争社会で、こういう(?)成人儀式、はっきり言ってしまえば、SEXを通して愛し愛されるという体験を経ないと、少年は永遠に卑怯な男のままだし、少女は永遠に不幸な女のままなのかなと感じる。

つまり、非社会的なことだが、「愛」ある「レイプ」は、人間が幸せになるために必須の経験で、これが中途半端だとDVとかモラハラとか、可笑しな男女の関係性に巻き込まれるようにすら思える。・・・DVというのは、大抵被害者の方も、相手を精神的に殴り続けているのが普通だからで、そうではない本当の「タブー」が、「成人儀式」なるものの本質であるように思える。

まぁ、こんなことを言語化している私も、不幸ではないにせよ、相当変わった女性なんだろうなとは思うけど。・・・「回復」って、いくら本を読んでもままならないもののような気が心底しますね。