恋愛によって人間は変わるか?〜「男流文学論」

この本は、一応フェミニズムの本と言う事になっているが、語られている内容はもっと深い。それは一言でいうと、「恋愛なる幻想」について語っているかのように思える。

確かに。恋愛によって人間は高揚し、一瞬の深い快楽が得られるけれども、それが人生の全てではない、と言う、まぁ当たり前と言えば当たり前になった「現代の哲学」を、いち早く3人の気鋭の女性が鼎談した本である。

要約すると、たったこれだけの事なのだが、実際人間は、色んな形で人生の真理(と自分が信じるもの)に到達すると思う。それは、勤労であったり、結婚であったり、創作であったり、信仰であったりまぁ本当に百人百様で、たまたまそれが、恋愛であったり性であったりする人間の方が、現代では少ないだろう。

それが、「恋愛が全て」であった時代の小説を、事細かに分析することで、その破綻を丁寧に指摘している、そういう本であるような気がしてならない。

もちろん、女性ならではの視点から、近代男性を深く批判した書でもあるのだが、そういう視点は、今一度横に置いておいた方が、読みやすい本だと言えると思う。

この本が出版された頃、まだ「共依存」なる言葉はメジャーでなかったと思うけれども、そういう過渡期に書かれた本であるだけに尚面白い。と、言うのも、私は古い人間で、「共依存」を全て否定する現在の社会は、「現代」を通り越して、一種の「中世」ならぬ「現世」だと思っているので。

確かに、世の中に「共依存」を初めとする、全てのアデイクションがなかったら、「現世」は、警察が文字通り要らない、平和な社会だろう。「不倫」もなければ「パチンコ」もなく、もっと言えば「酒」も「女色」もない世界は、さぞ支配しやすければ住み易かろう。

・・・しかし、そういう社会を例えば、法律で作ろうとした政治家は、歴史的に全て敗退しているのが事実なので、今度は「依存=悪」という新しい道徳を引っ張り出してきて、この世をカウンセラー達が、必死に治めようとしているのが、滑稽と言えば滑稽な「現世」であるように、私には感じられる。

マンションに小規模の家族が蟻のように住み、皆が9時に働き始めて5時に仕事納めすると言う、(ちょっと極端な歪曲ではあるかも知れないが)「現世」。そこで、「恋愛」と「酒」が許されるのは、TVに映る一握りの芸能人に許された特権。

そんな世界がいや社会が、資本主義の行き着くところだったとは、果たしてマルクスが想像したかどうか知らないが、私は基本的に芸術家であるので、マジョリティの考えるところをよしとしない。が、一方で、この本の説くところが、当たり前になってしまったこともまた認めざるを得ない。

まことに、ほんの一握りの例外を除いて「恋愛によって人間は本質的に変わらない」のであろうと思う。