生きるとは〜「帰還・ゲド戦記4巻」

なんだか大袈裟な題名になってしまいましたが、ゲド戦記のファンの方、どうかお許しを。

実は、このレビューで語りたいのは、ゲド戦記の事ではあまりなく、そうではなくて、つい最近のヒット「やれば出来る!」(注・読んでません)なんですな。

「やれば出来る!」「やれば出来る!」・・・本当に、そうなんだろうか。

例えば、中学校で卓球が得意で、県大会1位、とまではいかなくても、小学校で学校で1番でした、という程度の子が、福原愛ちゃんになりたい、「やれば出来る!」と思って、頑張れば出来るのかも知れない。(・・・知りません。)だけど、小1で100m走を20秒でどたどた走る肥満児が、「やれば出来る!」と努力して、はにかみ王子になれるものなのだろうか。いや、ゴルフと言う職業の特性はよく分からないから、こういう断言は危険だが、もっと言えば、勝間和代ご自身が、「やれば出来る!」と奮起して、女相撲取りになって朝青龍に勝てていたものなのだろうか。

ここで、「ゲド戦記」を出すのは、ある意味卑怯な技で躊躇われないでもないのだが、なんだか現代日本で、あんまり「教育の均一化」が進んだ結果、人が人の「運命」というか、「身の程」を知らない世の中になったような気がしてならない。

ゲド戦記」4巻、「帰還」の事実上の主人公、テルーは、幼い頃、実の両親に虐待され、目と半身をやけどで潰され、強姦されていると言う少女である。彼女は、賢く強い仮親であるテナーに引き取られてから、すくすくと育って家事も農家の術もよく覚える。・・・けれども、テナーはある時、ある老人がテルーを表面では褒めながら、後ろ姿に魔よけの十字をきっているのを見てしまう。・・・そして、テナーは考えるのである、「誰もがこの子を恐れる、この子はどこからみても間違いのない農家の娘になるのは無理だ」と。

本当に、そうなのだ。

ある運命を持って生まれてきた人間は、間違った方向に努力すればかえって不幸になる。・・・人間に出来ることは、自分についてしまった災いの痕を受け入れるか、利用するしかないのである。

テルーの運命、いや宿命は、ご想像にお任せするが、結局この第4巻では、記憶力に優れた彼女が、誰もなることの出来なかった「女の大賢人」になるであろう、というところでピリオドを打つ。

「しがみつかない生き方」ではなく。「自分の欠点を、天分と思って生きる」ことは、現代人には出来ないのだろうかと、切に思う。