我ら、善をなして死すよりは、悪をなして生きるべきか〜「ノルウェイの森」

まだ、「ノルウェイの森」映画版を見ていないが、どうやらネタばれによると、緑は最後の最後でワタナベ君に「待ってるわ」とか言うらしい。

これを聞いて、(嘘か本当か知りません、)私はう〜ん、と呻って椅子から転げ落ちた、というのは嘘ですが、かなり考え込みました。・・・それでは、つかその一言で、原作とはもうハチャメチャに違うではないか。

・・・その結末が本当なら、おそるべき、改悪(改善?)作である、この映画は。

何で、「ノルウェイの森」が面白いかと言うと、主人公が直子(=死)、緑(=生)のどちらへも行けずに彷徨っている小説だからだ。・・・こういう小説は、それまでなかった。要するに、ワタナベ君は、自分でも生きたいんだか死にたいんだかよく分からない人間なのだ。

しかし、その後の「1Q84」を読むと、多少村上春樹の中で、人生観に変容があるように思える。・・・要するに、「善しかなさず死ぬよりは、悪をなしても生きろ」と言うような人生観である。

自分の人生が、気に入らなければ、世に復讐しつつでも生きろ。・・・同志を探せ。親の死を待て。我々は繁殖するのだ、てな感じ。

これはこれで、昔からある一つの人生観だから、別にいいんですけど、(よくないか、)もし、こういう人生観の変容の元に、「ノルウェイの森」の改悪(?)版の公開を、村上春樹がOKしたなら、それはかなり問題だなぁって思いました。

何故なら、こうなってくると、直子の死は「自業自得、いわば『自己責任』」ってことになっちゃうからである。

直子は、何か悪をなしたのだろうか。・・・彼女は、何も悪い事はしていない。それでも、「無為に死ぬよりは、些細な悪を為しながら緑と共に生きよ」と言う結論になっちゃいますよ、これじゃぁ。うむむ。