恋愛の原風景〜「ノルウェイの森・再々論」

先日、「ノルウェイの森」の映画版を見てきて、非常に面白くかつ、監督の手腕がなかなかにホームランを打った後のようにすがすがしく、感動させられたので、それについてちょっと真面目にコメントしてみたいと思う。

・・・最近の、日本人の悪い癖だと思うのだが、漫画にしろアニメにしろ、あるいは映画にしろ、なんらかの哲学の元に「定義づけ」をする形で批評してしまう。これが、作家の方にまで浸透して、「俺は(私は)これこれの哲学、乃至は世界観を伝えたいがために、この作品を撮った」というかの如き例が、多々見られるのである。

ところが、今回のトラン・アン・ユン監督の「ノルウェイの森」の手法は、一言で言って、かなり実存的であると私は思った。・・・つまり、世界観うんぬんとか言う前に、まずおのおのの登場人物の在りようと言うか、実在感、心理を非常に大事にしていると言う意味で、「いい映画だ」と、私は思った。

例えば、精神を病んだ直子が、明らかに(この病の特徴であるのだが)口を半開きにしているシーンがある。しかも、それでいて、直子(菊池凛子)の撮り方が、キワモノ的になっていない。・・・あくまで、人間誰でもが、状況によっては陥りうるかも知れない、ある状態として淡々と撮られている。

それから、主人公のワタナベ君(松山ケンイチ)にしても、原作の少々、気取り気味の科白を、出来るだけ「生身の人間」のセリフに近付けてある。・・・あくまで、一人の十九歳から二十歳を迎える青年としてである。・・・他の主人公たちも、おしなべてこういった手法で撮られている。

その結果、浮かび上がって来るのは、時代の匂いとか言うより以前に、何か男と女の陥る原風景、とでも言ったものなのである。

ただ、面白いと思ったのは、このワタナベ君の、最後のレイコさんとの情事が、一種の「大人になる儀式」的に捉えられているところで、ここはいかにもフランス的な視点であるとは、感じた。・・・実際の、画面上のレイコさん(霧島れいか)は少々脅え気味で、そこにそこはかとない違和感がありはしたが。

だから、原作で有名な最後の、「あなた、今どこにいるの?」という緑のセリフも、哲学的というより、一人の少女がふと戯れに呟いてみた、日常的なジョークが、ワタナベ君を震撼させるという風にすら、この映画では捉えることができる。

それほどに、これは「人間」を大事にした映画だと、私は思った。・・・原作に対してこれまでなされた、どんな批評よりも、ある意味雄弁な解説書、と言って過言でない内容なので、暇な人は是非映画館に足を運んで欲しい。