東日本大地震雑感〜「君が代」

ひっきー、こと勤労の義務を果たしてない(正確には、今就労支援所で月に500円働いてますが・・・)非国民の、独り言である。

いや、今回の地震騒ぎにおけるブログシーン、はっきり言って何やら気味が悪い。まるで、「一億総同胞」の状態に、完全に戻った、と言って過言ではない。

・・・色々諸批判はあるが、諸外国にしてみれば、これでもあっぱれな「結束」ぶりであるらしい。と、いうか、アメリカ人からしてみると、「どうして略奪騒ぎが起きないのか?」と、不思議で不思議でしょうがないらしい。

で、その理由を討議しているのだが、(「愛国心」とか、「敬意と品格を重んじる」とか・・・)はっきり言って全部見当外れもいいとこと、言わねばならない。

要するに、日本人と言うのは建て前はともかく、本音においてはもう善くも悪くも本当に「共依存」的なんだなぁと、私は思った。

自分の生命を守る事は、本来国を守る事より大事な筈である。・・・しかし、例えば私が被災地にいて、食料尽きて近所のコンビニを襲撃出来るか?と自分に問うと、答えはやっぱりNOである。

例え、大企業が経営してるコンビニと言えども、毎日レジのおばちゃんと「こんにちわ」と挨拶を交わす「ご近所」なのである。・・・「ご近所」を自分勝手に襲撃して、もし再興の暁に、それをおばちゃんに思いだされて、アイス売ってくれなくなったらどうするよ、と言うのがやっぱり基本に厳然としてあるのである。

それと同じで。例えTVに写ってる見知らぬ人でも、被害に遭って悲しく嗚咽していれば、「同胞」は悲しいのが当たり前。節電するのも当たり前。・・・一億三千人は、独立した個人、とか言うよりもう一つの「日本」という恐竜の細胞の一個一個、みたいなもんである、んだなぁとしみじみ思った。

しかし、そういう日本人から見ると、アメリカ人の日常と言うのも相当不思議な気はする。・・・タイフーンの時、勝手にスーパーを襲撃&略奪しても、1年後には、お互い「ハロー!」とか挨拶してたりするんだろうか。「独立」とは、なんと神経の太い有り様であろうか、というのは、ついに「独立」が分からない、知らないこっちの言い草か。