太宰治の分からなさ〜「世界は二人のために」

これは、私が多分、太宰治を全く理解出来ないので、(・・・正直言って、2〜3行読んだだけで、どの作品もうんざりすると言うより、訳が分からなくなってしまうのである)一種の「誤読」論として、悪しからず読んでいただきたい。

私が、太宰のどこが理解できないか。・・・それは、ずばり言って彼(?)の独特の対人認識と言うか何と言うか、人に対する態度(?)というか、その他人に対する「拘り」につきる。

何でこの人は、こんなに他人の有りようとか、自分との関係性の有り様を、勝手に決めては、そのずれに拘って悩むのか、私には、正直言うとさっぱり理解できないのである。

私も、そういう問題で全く悩まないとは言わないけれども、そういう場面の自分は大抵「嘘」だと思っている。・・・非常に説明しにくいが、私の認識に置いてはあくまで「人は人、自分は自分、お互い理解できなくて当たり前、従って理解できたと思った瞬間、それは自分の単なる思いあがり。・・・だから、人との関係性でこういうジレンマに陥ったら、それは自分の対人認識のゆがみ」だと思っているので、即こういう「悩み(???)」からは一歩も二歩も十歩も身を引くようにしている。・・・というか、「悩み」というよりそれはもう自分の単なる「他人を思い通りにしたい欲」だと思うので。

ところが、太宰治には全くこの認識が無いみたいなので困ってしまうのである。

「人は自分、自分は人」これが太宰の基本スタンスで、これが受け入れられないと(受け入れられたら困ると、私は思うが)彼は、絶大なパニックを起こす。・・・というより、(小説の中のだが)毎日、毎時、毎瞬間がもうこの「どうして人は自分を分かってくれないのか???受け入れてくれないのかあぁああああ」の繰り返しなのである。

分かる訳ないじゃん別の人間なんだから。

と、言ったら彼にまっこと申し訳ないのだろうかなぁ。