天窓

久しぶりに、池袋へ行った。

行きに、梅干とじゃこのお握りと、鮭のお握りと小さな唐揚げと卵焼きのセットを買った。それからスクールについて机や椅子を動かして、皆の席を作った。
帰り道に、パン屋に寄って3人でお茶をした。私はレーズンのスコーンとアイスカフェオレを頼んだ。

たった5年前の私は、そんな極当たり前のことも出来ない人だった。1日30錠以上薬を飲まされていたので、体も頭もふらふらするし、人の集まるところに出ても、軽いパイプ製の椅子を2脚運ぶだけで息がぜいぜいした。

自分の作ったコネで、家族の猛反対を押し切って薬を出さない医師に主治医を変え、母親が出て行った後は、優しいヘルパーさんに家事を生まれて初めて教わった。19下の恋人ができたのはその頃だった。

彼と破局して暫くして、父が「家を売ろう」とぼそっと言った。「もう、2階へ繋がる階段を昇るのが辛いし、重い雨戸を閉めるのも億劫だ。二人で、スープの冷めない距離にマンションを各々借りよう」と。

それが、やっと実現したのは、回復し始めてから3年目だった。

今の私は、ひとりでご飯も炊ければ味噌汁も作れる。簡単な料理や副菜も作れる。毎日、洗濯をして掃除をして、時々サークルに参加して暮らしている。

パン屋の帰り道に。

今にも泣き出しそうな空を、私は電車のドアから見ていた。隣では、ギャルっぽい女性がスマホでつまらなそうに遊んでいた。ふと、気がつくと線路沿いの、もう1度も帰っていない実家の屋根が一瞬見えた。

実家はびっくりするほど小さかった。・・・電車から見える、天窓はなおなお小さかった。

15年間、寝たきりで私がただ月を眺めていた、あの天窓だ。

・・・それは、私の全世界だった家は、唯一の外界が見えた天窓は、電車の窓から見ると、ワンダーランドの小さな小さなおもちゃの家のようだった。電車は、何事もなかったかのようにごとんごとんと私の視界を変えていった。