夢うつつ

夜中に、熱を出した。

・・・もう81の父は、全くあてにはならない。苦しくてたまらないので、救急車を呼んだが、私の意識がはっきりしているのと、近くの良心的な病院が全部満床なので、結局「搬送拒否証」にサインをして、マンションに帰ってきた。セデスを飲み、関節を濡れたタオルで冷やしているうちに、熱はだんだん引いてきた。

でも、まだ少し熱っぽい体で、私はぼんやりと夢想していた。

・・・この5年間、お互い好きになった人も幾人かいれば、それなりの友人も沢山出来た。一応、信頼できるドクターともセラピストとも繋がっている。私は多分、そんなに不幸という訳ではないのだろう。

でも、熱を持て余していると、つくづく肉親の愛情と言うか、関心にそもそも恵まれなかった自分の半生が、つらつら思い出されて憂鬱になった。

私はこの今住んでいる街が好きでない。・・・せせこましくて、人間が優等生で、綺麗ごとで塗り固めた、人の気持ちをやすらげる自然のひとつといってない街だ。

生まれた時から今まで、歌の文句ではないが正直、「何もいいことがなかったこの街」ではあったのだ。室生犀星ではないけれども、「ふるさとは遠きにありて思うもの〜帰るところにあるまじや」と言う一節に、私は夜中に泣きくずれた。

私の、本当の故郷は母方の田舎である松本だ。

母親自体は、私に冷たかったけれども母方の親戚は、決してそんなことはなかった。・・・父方の親戚のように、私を疎んじなかった。

松本に行ける、夏休みの三週間は私にとって至福の時だった。松本城も開智小学校も、市営プールも今はもうあるかないか分からない、湧き水の出る井戸も、城山公園もアルプス公園もみんなみんな懐かしい。祖母が、電熱器で焼いてくれた香ばしいとうもろこしはなお懐かしい。ひのきの風呂も私は大好きだった。

今は無理でも。

晩年は、きっとこの街を捨てて、松本に移住しようと、私は熱うつつに誓った。