さらば愛しきゲドよ

・・・長らくお世話になったブロガーさんはいろいろいるが、仮にその人の名はゲドとしておこう。

ゲドの主張は、(頭の悪い私にはよく飲みこめていないようなところもあるが)要するに、「日本国憲法の精神を守ろう」というようなところじゃないかとぼんやりと思っている。

しかし。

今、この主張が、時代遅れになりつつある気が私には漠然とするのだ。・・・断っておくが、私は別に憲法改正派はでも、ましてや9条反対派でもない。

では、何故理にかなった今の憲法が、時代にそぐわないと思うのか。

要するに、「自由には責任が伴う」という当たり前のテーゼが、皆に受け入れがたい時代が到来している気がするのである。

確かに自由は大事である。・・・責任をとることも大事である。しかし、今自由競争でどれだけ生き残れる人間がいるか。あるいは、自己責任をとってもなおふりかかる不幸(例えば原発被害であるとか)を、どう乗り越えたらいいのか、ということが皆の関心事であるのに、「自由に生きれば幸福になれる。そのためには行動に責任を持とう」と、言い続けることの胡散臭さを、最近のゲドには感じるのである。

もっといえば、人間は必ず老いる。自分の体が自由にならないときも、自分で自分の責任が取れない時もいずれくる。・・・そういう老人が人口の三分の一を占める時代が来るのに。

もうひとつ、思うのはゲドの恋愛観である。

団塊世代の人にありがちなことだが、どうしても「恋愛」というものを「人生の価値」から切り離せないようにゲドは見える。・・・しかし恋愛は夢である。夢はいつか儚く消える。・・・だから美しいと言えばそれまでだが、要するに人間は別に恋愛しなくても幸福になれるということが、ゲドにはどうしても了解できないらしいのだ。

ゲドが誰かはどうでもいい。・・・あなたの横にいる誰かと思ってくれればいい。

私は、とにかく「自己責任」と「恋愛至上主義」から離れ始めたのだと思う。・・・さらば愛しき師匠よ。