ニッポンの美学

私が過去つき合った男性に、割と多いパターンだったが、要するに「彼」には父親がいない。いても、幼い「彼」を殴るとかして失踪するか、自死している。母親とは言えば、しっかり者で「彼」をよく可愛がっていて「彼」はものすごいマザコンである。

こういう男性が、頑張って出世したと言うタイプが、これまでの過去彼のほぼ8割であった。

「彼」は誰からも非難されない。「彼」をいじめる子もいないし「彼」自身、要領が極端にいいし一見、女性に優しいしカッコいいからもてる。・・・しかし、ある時「彼」は、突然弱いものに対する暴力に走るのだ。

これは、どういうことなんだと長年考えていたが。

結局、ニッポンが「彼」の存在を認めているんだと言う結論に達した。

「彼」は弱いものいじめをする。・・・しかし、努力して偉くなった人間が弱いものいじめをすることは正しいのだし、「お母ちゃん」を大事にする「彼」もこれまた美しい。ニッポンの美学ではそうなっているのだと私は気づいた。

だから、「彼」にもし殴られた女性がいたとしたら、「彼」を怒らせた女性の方が徹底的に悪い。・・・彼女は改心して、強い男を怒らせるような勘違いをやめなければいけない。彼女には再教育の必要がある。「可愛い女、賢い女」になるべき、いや社会が、そう彼女を修正しなければいけないのだ。

それがいわゆる「回復」である。

「弱いものいじめをするな」と彼に言ってはいけない。何故なら弱いことは悪なのだから。・・・弱いと言う存在を認めること自体が、反社会的なことなのだから。

まるで「シジフォスの神話」みたいだなぁと内心思うけれども、今の世界はそういう風にできている。