しかし、これは不吉な作品である。
「1Q84」をbook3まで読んだとき、私は何故か三島由紀夫の「豊饒の海」が連想されてならなかった。したがって、もしbook4が発売されるならば、それは聖書的世界に、さらに日本性を強く打ちこんだものになるだろうとも思った。
その予感は、ある意味当たったと言えると思う。
現代日本に生きる我々は、仏教とキリスト教に挟み撃ちされて生きている。
・・・しかし、春樹氏の場合、(出生のためなのか?)理由はよくわからないけれども、
この作品で、無意識に仏教世界への回帰を果たしているように思える。
そこにはもはや、現代文学が問題とするビルドゥングスと言ったような問題は、存在しないかのようにすら思える。
ただ、人は人として、ものはものとして、性は性としてそこにあるだけなのだった。
もし、読者が赤、青、白、黒、そして沙羅の仏教的意味合いを解読できないのであれば、この作品の面白さはわからないだろうと思う。
この作品は、ミステリーとしては不十分と言うか破綻しているけれども、そもそも日本において、ミステリーとはなんぞや?とすら思わせる「怪談」なのである。
が、ただよくない予感がするのは、才能に疲れたピアニスト緑川が、「あと1か月の命だ」とはっきり予告するくだりと、最後に沙羅に去られた(?)主人公が死を思うシーンである。
この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が、村上春樹のスワン・ソングとならないよう心から祈る。