愛が呼んでいる

 友人を誘って、六本木の森美術館に行った。

 森美術館は、六本木ヒルズの五十三階にある。私は、生まれて初めてヒルズの蜘蛛のオブジェの下で、友人を待っていた。周囲は噴水があって花が咲いていて、洒落たテナントに囲まれて凄まじい高層ビルが聳え立っていた。私は、「ホリエモンって凄いなぁ」とめずらしく猛烈に感動しながら、少し遅れてくるという友人を、木の椅子に座って待っていた。

 友人は、果たしてトラヤカフェに行きたいという。

 二人で随分迷った結果、ヨーロッパの路地の一角のようなカフェーに辿り着いた。私はビシソワーズと野菜とスコーンを、彼女はトマトとアボガドのオープンサンドを注文した。カフェーは空いていた。

 ぽつぽつと想い出話をする内に、子供の話になった。友人は、長男が変わった子でなんだか困っていると言う。大学は出たけれども、レジスターの仕事をしながら、ライトノベルの世界に没頭していると言う。

 「四人も子供がいればね、育てにくい子が一人ぐらいいてもびっくりしないんだけど」と、彼女は世間話をする調子で言った。私はちょっとびっくりした。 普通の親というのは、変わった子供がいても「あの子変わってて困るわ」で終わっちゃうんだなぁとその時思った。

 私も育てにくい子供だったのだと思う。学校にも馴染まなかったし友人もいなかった。母はそのことで半狂乱になっていた。随分怒鳴られもした。よその人には、「可愛くってしようがないのよ」とからかうように言われて随分むかついたけど、あれはそういうことだったのか。

 考えている内に、食事は終わって、バナナの餡蜜と葛のムースを片付けて、森美術館へ行くことになった。五十三階へ向かうエレベーターは耳がキーンと鳴って怖かった。

 今回の展覧会のテーマは「LOVE」である。一番綺麗だったのは、やっぱり、最後近くに入った草間彌生さんの展示室だった。お馴染みの水玉模様に彩られた、ピンクや緑や水色の突起物が、部屋中に発光してまさしく迷宮のように輝いていた。

 実は、私は草間さんと同じ病院にいた事がある。主治医の先生も同じ人だった。もう三十年近くも前の事だが、病院は古くて小綺麗で、「ここは出来た時は東洋一の開放病棟と呼ばれていたんですよ」と言うのがその先生の口癖だった。私は、他の患者さんとトランプしたり、宝塚に行ったりばかりしていたけれども、草間さんはいつも人目を避けるように帽子を目深にかぶり、創作に没頭していた。病院の廊下には水玉のついた南瓜がいくつも転がっていた。

 退院してから暫くして、私は草間さんの自伝をむさぼるように読んだ。草間さんもやっぱり長野の実家ではとても困った子で、奇行を繰り返していたらしい。NYに渡ってからは、絵は世界的な大成功を修めたが、フリーセックス運動をして、沢山のヌードを晒したりして日本では大顰蹙を買ったらしい。

 それでも、草間さんの親御さんにとって草間さんは「可愛くって仕方がない子」だったのかしらん。

 草間さんの部屋の題名は、こうだった。
「愛が呼んでいる」