荷車と人力車

父は小さいころ
浦和の街で、よく祖父の引く荷車に乗せてもらったという
荷車で、道行く人を眺めるのが楽しかったという

父は、駒込の大きな屋敷で生まれたのだが
祖父がダンスホールの経営に失敗したので
浦和の小さな一軒家に移り住んだ
ある時、祖父は銀座でブルゾンを買って帰って来たという
「これからは、屑屋になるんだ」と言ったという
それから父は、お坊っちゃんから普通の少年になった
まだ緑の多い浦和の原っぱで
昆虫を捕まえたり、かたつむりや兎や鶏を飼ったりした
背は低かったが、喧嘩にはめっぽう強かった
祖父は時々、お酒を飲んで十二時を過ぎても帰らないことがあった
そういう時は、父が居酒屋に探しに行くのだった
祖父は大抵、焼き鳥を食べて呑んでご機嫌だったという

父が大人になって
私は、祖父と祖母の住む庭に建てた小さな二階建ての家に住むようになった
家はモルタルで、庭には薔薇が咲いていた

父は長いこと、文筆家になるのが夢だった
私が、それを引き継ぐとは思ってもいなかった

病を得て、長い引きこもりの後に私は、
詩の先生と知り合って、小説を書くようになって
ある時、浅草の街で先生と人力車に乗った
人の引く車というのは、軽くて心地よいものだとその時知った
人力車の兄さんはきっぷが好かった
外国の人が、ぱしゃぱしゃとシャッターを切るので恥ずかしかった
満開の桜の中を、人力車はふうらりふうらりと走って行った