全てはフィクション〜「午後の曳航」

三島由紀夫の作品は、これしか真面目に読んでいないのが全く情けないが、例によってお許しを。

三島と言う人は、一言で言って「この世の全ての真理はフィクション」である、と、くそ真面目に信じ続けた人であると思う。・・・彼にとって、真実とは、美しい男の肉体美(失礼)だけで、その他のものは、全部どの価値もどの価値も虚像だと、生涯にわたって叫び続けた人であるような気がしてならない。

この作品では、美しく魅力的だった男が、結婚によって無惨に鈍化して、それを許せない少年によって、結局惨殺されると言う話なのだが。

どうも、生涯に亘って「女嫌い」を貫いた三島であるが、今現代であったら、むしろ女性にこそ支持されるべき作家ではないか、と言う気が何となくする。

「世間の全てはくだらない、あるのは女の肉体だけだ」と言う作家は、古今東西に山のようにいる。しかし、三島の場合、「あるのは男の肉体だけ」(再度失礼)で、これはある意味、最高のフェミニズム(・・・なんて言ったら、本物のフェミニストに叱られるか・・・)ではないだろうか。

男の美しい肉体だけが全て。って言うと、BLの権化のようであるが、実際、そういう少女は今結構増えているのではと推測する。(いわゆる腐女子、ってヤツですか。)

実は。私は、高校時代、この腐女子の奔りをやっていました。(爆)・・・今でこそ、あまりBLとか読まないようになって来ましたが。何か、自分の根本にこの三島と通じるものがあるんだなぁ。

彼は、実の親に愛されなかった人であることで有名だが、彼の死と言うのも、自分の肉体美が、いかにボディビルをしても、保てなくなったというただそれだけの理由であるような気がしてならない。(短絡的な、女の発想ということでここは許して頂きたい。)彼は、精神的にはあきらかに同性愛的傾向があったのだろうが、彼の不幸の原因は、あくまでそこにあるのではなく、何かとてつもないこの世に関する虚無感にあり、と思う。

信じられるものはどこにもなく、信じる価値あるものもどこにもない。言ってみれば、男版「けものみち」とでも言ったらいいのか。(米倉涼子主演で流行りましたね〜。ちなみに、彼女の肉体美が衰えるところも、何か見たくないですね。)

この作品、なんとかなり昔に既に洋画化されているそうで。まだ見ていないが、外国人好みの設定だったのかな。故・淀川長治さん辺りが解説していないかな。・・・あくまで、見るのが面倒くさい私です。