りぼん

私は部屋着の胸元にりぼんをつけた

それから長い髪をりぼんで束ねた

引き裂かれたこころを隠すために

詩を綴って精神を蝶結びにした

でも夜になると

躰のりぼんがほどけてしまうのだった

心の傷はシフォンのりぼんで隠せない

体の傷は言葉の蝶結びで隠せない

りぼんを引き裂いた男は

平然とどこかで嗤っているのだった

あの女はおいしかったあの躰は旨かったと

そんな部屋の外の空気が嫌でたまらなくて

今日もわたしはいやいやと

靴のりぼんを縦結びにするのです

きみへ

きみは私のマンションのベルを押した

最初、宅配の人かと一瞬思った

ドアを開けて、

ひさしぶりに見た君は、前より薄茶色いバッグを提げて

「いままでありがとう」と言う

「仕事を探している」とも言う

君のポケットには

本当は

焦げ茶色に変色した放射線測定カードが入っているのを

私は知っていたけれども

いや、礼にはおよばないよ、こっちこそありがとう、

と言ってドアを閉めた。

きみが私に渡した封筒には、

綺麗なステンドグラスの栞が

ただ二枚入っていた。

折角、福島から試験に受かって

東京へ逃げ出してきたんじゃないか

きみが飢え死にしないように祈る

きみがその前にホームレスにならないように祈る

きみがその前に、セシウムで癌に倒れないようにただ祈る

ことしか、今できない。

私も今の彼も、自分の仕事をやり遂げるので精いっぱいなんだよ。

きみは少しがっかりして、

他のだれかのドアを叩くために出て行った。

きみが、この世は究極

孤独の連立方程式で成り立っていることに

一刻も早く気づくことを

そしていつか誰かと、

その愛の解析が解けるようになることを

祈る

荷車と人力車

父は小さいころ
浦和の街で、よく祖父の引く荷車に乗せてもらったという
荷車で、道行く人を眺めるのが楽しかったという

父は、駒込の大きな屋敷で生まれたのだが
祖父がダンスホールの経営に失敗したので
浦和の小さな一軒家に移り住んだ
ある時、祖父は銀座でブルゾンを買って帰って来たという
「これからは、屑屋になるんだ」と言ったという
それから父は、お坊っちゃんから普通の少年になった
まだ緑の多い浦和の原っぱで
昆虫を捕まえたり、かたつむりや兎や鶏を飼ったりした
背は低かったが、喧嘩にはめっぽう強かった
祖父は時々、お酒を飲んで十二時を過ぎても帰らないことがあった
そういう時は、父が居酒屋に探しに行くのだった
祖父は大抵、焼き鳥を食べて呑んでご機嫌だったという

父が大人になって
私は、祖父と祖母の住む庭に建てた小さな二階建ての家に住むようになった
家はモルタルで、庭には薔薇が咲いていた

父は長いこと、文筆家になるのが夢だった
私が、それを引き継ぐとは思ってもいなかった

病を得て、長い引きこもりの後に私は、
詩の先生と知り合って、小説を書くようになって
ある時、浅草の街で先生と人力車に乗った
人の引く車というのは、軽くて心地よいものだとその時知った
人力車の兄さんはきっぷが好かった
外国の人が、ぱしゃぱしゃとシャッターを切るので恥ずかしかった
満開の桜の中を、人力車はふうらりふうらりと走って行った

愛が呼んでいる

 友人を誘って、六本木の森美術館に行った。

 森美術館は、六本木ヒルズの五十三階にある。私は、生まれて初めてヒルズの蜘蛛のオブジェの下で、友人を待っていた。周囲は噴水があって花が咲いていて、洒落たテナントに囲まれて凄まじい高層ビルが聳え立っていた。私は、「ホリエモンって凄いなぁ」とめずらしく猛烈に感動しながら、少し遅れてくるという友人を、木の椅子に座って待っていた。

 友人は、果たしてトラヤカフェに行きたいという。

 二人で随分迷った結果、ヨーロッパの路地の一角のようなカフェーに辿り着いた。私はビシソワーズと野菜とスコーンを、彼女はトマトとアボガドのオープンサンドを注文した。カフェーは空いていた。

 ぽつぽつと想い出話をする内に、子供の話になった。友人は、長男が変わった子でなんだか困っていると言う。大学は出たけれども、レジスターの仕事をしながら、ライトノベルの世界に没頭していると言う。

 「四人も子供がいればね、育てにくい子が一人ぐらいいてもびっくりしないんだけど」と、彼女は世間話をする調子で言った。私はちょっとびっくりした。 普通の親というのは、変わった子供がいても「あの子変わってて困るわ」で終わっちゃうんだなぁとその時思った。

 私も育てにくい子供だったのだと思う。学校にも馴染まなかったし友人もいなかった。母はそのことで半狂乱になっていた。随分怒鳴られもした。よその人には、「可愛くってしようがないのよ」とからかうように言われて随分むかついたけど、あれはそういうことだったのか。

 考えている内に、食事は終わって、バナナの餡蜜と葛のムースを片付けて、森美術館へ行くことになった。五十三階へ向かうエレベーターは耳がキーンと鳴って怖かった。

 今回の展覧会のテーマは「LOVE」である。一番綺麗だったのは、やっぱり、最後近くに入った草間彌生さんの展示室だった。お馴染みの水玉模様に彩られた、ピンクや緑や水色の突起物が、部屋中に発光してまさしく迷宮のように輝いていた。

 実は、私は草間さんと同じ病院にいた事がある。主治医の先生も同じ人だった。もう三十年近くも前の事だが、病院は古くて小綺麗で、「ここは出来た時は東洋一の開放病棟と呼ばれていたんですよ」と言うのがその先生の口癖だった。私は、他の患者さんとトランプしたり、宝塚に行ったりばかりしていたけれども、草間さんはいつも人目を避けるように帽子を目深にかぶり、創作に没頭していた。病院の廊下には水玉のついた南瓜がいくつも転がっていた。

 退院してから暫くして、私は草間さんの自伝をむさぼるように読んだ。草間さんもやっぱり長野の実家ではとても困った子で、奇行を繰り返していたらしい。NYに渡ってからは、絵は世界的な大成功を修めたが、フリーセックス運動をして、沢山のヌードを晒したりして日本では大顰蹙を買ったらしい。

 それでも、草間さんの親御さんにとって草間さんは「可愛くって仕方がない子」だったのかしらん。

 草間さんの部屋の題名は、こうだった。
「愛が呼んでいる」

ひとはただしく生きようとすればするほど

何だかどんどんひからびてゆく

まるで揺りかごをゆらす母の律動を忘れたかのように

けもののようなふるまいは夜に身を潜め

昼間は仕事をしてきりっと背を伸ばして

休憩時間にラーメンを食べてばかばかしい話をするのが生きがいになってゆく

会社を終える年になって

麺類を噛み切る歯がそろそろ弱くなってきて

からだの節節に皺ができて

だんだん子どもにもどってゆく

そうするととても潤っていた日々の事が思い出されて

若さに溜息をつきわるいことがいとおしくなり

人はまた同じことをくりかえしくりかえし語るようになり

だんだんと幸福へかえってゆくのである

ランボーの夜

この間の金曜日の夜、ランボーについての朗読会に行った。

 詩の先生が、版画と一緒に詩をつけた本を出版すると言うので、会の仲間と茅場町に行った。案内に載っていたビルは、たどり着いてみると戦前の古い趣のある建物だった。

 早く着きすぎたせいもあり、トークショウはなかなか始まらなかった。アールデコ調の古いランプの吊る下がった天井や、黄色っぽく変色した壁を見ている内に、会は始まった。

 私は正直ランボーが好きでない。後ろの方の席に座ったので、先生と、写真家の人の話はよく聞きとれなかった。私はランボーの傲岸不遜な肖像画を見ながら、「詩を教えてもらった師匠とのことを、『僕は一匹の豚を愛した』とは何事か」と、そればかりぐるぐる考えていた。

 やっと、朗読の時間は終わって質問の時間になった。ものすごく太った、男の子みたいな女の子が、「なんでランボーはこんなにふてぶてしい顔してるんですか」と質問した。すかっとしたと思ったら、先生は「そうなんです。ランボーって恩知らずで、人に自分の精液を入れたミルクを飲ませたりしたんです」と嬉しそうに言った。

 私は吐きそうになりながら、懇親会に出席した。隣の人に、「先生のお弟子さんですか」と聞かれたのではいと言った。その人は、「先生、田舎にも会持ってるんですね。大変ですねえ」と言った。

 詩を書くのに、東京に住んでないといかんという決まりでもあるのかと思ったが私は黙っていた。

 懇親会は退屈だった。都会に住んでる人が、自分の詩はうまいとか下手とか自分の育ちはいいとか悪いとか自慢したり謙遜したりしてる会話ばっかりだった。なんだか、ふと昔、めちゃくちゃに苛められた、親に無理やり入れられた山の手のお嬢さん高校の雰囲気を思い出した。

 ランボーも、パリで田舎もんとか言われたんでわざと牛乳にいたずらしたんじゃないだろうか?と私は根拠のない空想をした。

 親切だったのは、さっきの太った声の低い女の子だけだった。

 帰りに地下鉄に乗ると、列車の終電ギリギリだった。焦っていると、ふと隣に座った人がげえっと嘔吐した。慌ててよけたけど、自分までかなり気分が悪くなった。

 家に帰りつくとへとへとだった。着てるものを全部脱いで、洗濯機に洗剤と一緒に放り込んで回して、干してから寝た。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の不安について

今日、電車の中の広告を見ていたら、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が既に100万部を突破しているらしい。

もちろん、その中には熱烈な「ハルキスト」もいるだろうし、宣伝につられて買いましたと言う人もいるだろうし、嫌いだけどなんでか買いましたと言う人も当然いるだろう。

しかし、何はともあれ、これだけの販売数を誇ると言う事は、それが肯定的であれ否定的であれ、「多崎つくる」あるいは村上春樹と言う作家に対する関心度の高さを示していると言っていいだろう。

実際に、「色彩を持たない〜」を読んでみると、多崎つくるはかなりのダメ男である。・・・死んでいるか生きているかわからない時間を15年間過ごしてきたと言う。その行動も、相当に病的と言えばそうだし、突っ込みどころ満載と言えばまさしくそうである。

にも、関わらずアマゾンの書評で見た限りでは、この作品に対する好感度は、甲乙半々と言った印象であった。

いったい。

我々は、大体において、皆が普通に健康に当たり前に生きていると疑いもなく思って、毎日を過ごしているわけではあるが、この「色彩を持たない〜」は、そういう常識を覆す力を持った作品なのかも知れない。

皆とは何なのか、普通とは何なのか、健康とはいったい何であるのか。

むろん、そういう事に当たり前の確信を持った人は「多崎つくる」という人物にいわれのない不愉快を感じるだろう。・・・しかし、繰り返すようだがこの作品がベストセラーになるという事実は、単に宣伝うんぬんだけの問題ではないと私は思う。

私は、いやこの作品に惹きつけられる人々はおそらく、自分で思っているより遥かに病んだ部分を抱えながら生きているのに違いない。・・・現代とはそういう時代であるのか、それとも健康とは意外に、限定された概念であるのか。

そういう不安な疑問を浮上させる、村上春樹は危険と言えばきわめて危険な作家である。